エレガントではなかったクイックステップと、ダイナマイトなアスグリーン

elegant [形]
1.〔外見や所作が〕優雅な、上品な、洗練された
2.〔動きなどが〕こなれた、滑らかな、見事な
3.〔表現などが〕簡潔で美しい、的確な、明解な
[発音]éləgənt [分節]el・e・gant
Danish Dynamite[名]
サッカー・デンマーク代表チームの愛称。
1980年代にミカエル・ラウドルップを中心とした超攻撃的サッカーで、世界を震撼させたことから名づけられたとされる。
これ以降、デンマーク人のスポーツ選手が印象的な活躍をした際に「ダニッシュ・ダイナマイト」の異名がしばしば冠される。
[発音]déiniʃ dáinəmàit [分節]Dan・ish Dy・na・mite

昨年のロンド・ファン・フラーンデレンに引き続き、ドゥクーニンク・クイックステップはチーム名を「エレガント・クイックステップ」に変更。メインスポンサーのドゥクーニンク社が販売している「Elegant」という窓サッシのブランド名に由来している。その名のとおり、優雅で上品で洗練されたデザインが特徴とのことで、美しく華麗に勝利を重ねるクイックステップのチーム名に冠されることとなったそうだ。

一方で、その舞台となるロンド・ファン・フラーンデレンはキング・オブ・クラシックと呼ぶにふさわしい、石畳と激坂が断続的に登場するタフなレースだ。ときに選手たちは泥にまみれながら、砂埃が顔にへばりつくほど劣悪な環境を戦い抜くことになる。ある意味では美しいが、エレガントという言葉には不釣り合いなレースともいえよう。

そして、今年の北のクラシックの主題はマチュー・ファンデルプール、ワウト・ファンアールト、ジュリアン・アラフィリップのビッグ3の直接対決の行方であった。

今季3人が直接対決したレースは、ストラーデ・ビアンケ、ティレーノ~アドリアティコ、ミラノ〜サンレモだった。ティレーノ7ステージを含めた計9日間のうち、マチュー3勝、ワウト2勝、アラフィリップ1勝となっていた。

また、北のクラシックの結果をおさらいすると、

オンループ・ヘット・ニュースブラッド:ダヴィデ・バッレリーニ
ブルッヘ・デパンヌ:サム・ベネット
E3サクソバンク・クラシック:カスパー・アスグリーン
ヘント・ウェヴェルヘム:ワウト・ファンアールト
ドワルス・ドール・フラーンデレン:ディラン・ファンバーレ

だった。マチューやワウトのような強大な個の力に対して、クイックステップは組織力に活路を見出し3勝をあげ、ウルフパックの矜持を示してた。

そうして迎えたロンド。逃げ集団を10分以上のタイム差で泳がしながら、静かに中盤の攻防に突入。クイックステップ自慢のチーム力がいかんなく発揮され、散発するアタックをことごとく封じ込めながら、仕掛けのタイミングを伺っていた。

ところが、残り70km付近。そのようにペースが上がっていた集団で大落車が発生。E3覇者のアスグリーンは自転車交換を余儀なくされ、アラフィリップも足止めを食らい、2人は自分の脚を使って集団復帰せねばならなかった。

クイックステップはレースの主導権を手放さざるを得なかったが、遅れていたメンバーも集団に戻りいったんはレースは落ち着く。すると、残り55㎞付近のオウデ・クワレモントの石畳区間にて、マチューがアタック。

この危険な動きは、マチューをマークしていたアスグリーンが抑えこんだものの、この日のマチューは長距離独走を試みるような積極性ではなく、ワンデーレースの基本戦略ともいえるアタックによる集団の絞り込みを、一人で複数回実行する驚異的な積極性とタフネスぶりを発揮することになる。

クイックステップも負けじと、アスグリーン、フロリアン・セネシャル、アラフィリップを中心に攻撃を仕掛け、マチュー、ワウト、アラフィリップのビッグ3に加えて、アスグリーンの4人が先頭集団を形成することとなった。

マチューは高強度のアタックを少なくとも3回は行っているにもかかわらず、飄々とした表情をしており底が知れない。ワウトはこれらのアタックに遅れを喫する姿も見られたが、マイペースゆえかキツいのか判断つかず。アラフィリップは積極的動いて、一時的に独走に持ち込んだが追いつかれてしまった。アスグリーンは猛獣マチューの相手をさせられ、消耗しているはず。という状況だった。

数的優位を築いたクイックステップは、怪物2人を相手にも物怖じせず、得意の連携攻撃を開始。残り27㎞付近の平坦区間でアスグリーンがアタック。マチュー、ワウトを振り切って独走に持ち込み、2人をアラフィリップがマークする状況を生み出すための動きだったが、大誤算が生じる。

マチューとワウトはアスグリーンの動きに反応し、追従できたのだが、アラフィリップはこの動きについていけず脱落。どうやらアラフィリップは脚を痙攣していたようで、咄嗟に動くことができなかった。とはいえ、連携が鍵を握るウルフパックらしからぬ、エレガントではない動きによって、手負いのアスグリーンが怪物2人を相手にせねばならない最悪の状況に追い込まれた。

追走集団には、セネシャルも控えていたが、グレッグ・ファンアーヴェルマート、ヤスパー・ストゥイヴェン、クリストフ・ラポルト、アントニー・トゥルギスなど強豪揃いだ。セネシャルは追走集団に身を潜め、先頭のアスグリーンはマチュー、ワウトとともにローテーションに協力して逃げ切る方針を立てた。つまり、クイックステップが勝利するためにはマチューとワウトを倒すしかなかった。

そうして、残り17㎞付近。3人は最後のオウデ・クワレモントに突入すると、再びマチューが動く。ここで、ワウトは脱落。この日のワウトはベストコンディションではなかったようだ。一方、アスグリーンは必死にマチューに食らいつき、オウデ・クワレモントを上りきるまでに距離をあけられてしまうも、新クワレモント通りの下り坂でマチューに追いつくことができた。

続くパテルブルグに入ると、またしてもマチューが加速。ところが、アスグリーンは突き放されるどころか、マチューと横並びのまま真っすぐに石畳の激坂を駆け上がっていく。後続のワウトは蛇行するほどの難所にもかかわらずだ。

マチューの最後の攻撃が不発に終わったものの、アスグリーンも瀕死の様子。フィニッシュ地点に至る平坦路では、お互いに仕掛けることなく、ラスト1㎞のアーチをくぐっていった。

筆者はこの時点でマチューの勝率は98%あると踏んでいた。単純なスプリント力の違い、最終盤に至るまでのマチューの無尽蔵のスタミナを考えると、ワウトが力尽きるほどの猛攻を受けたアスグリーンにスプリント力が残っているとは思えない。そして、E3で67kmを独走勝利したアスグリーンの脚質を考えると、スプリントよりもむしろ逃げに勝機を見出すはずだが、レース後に本人も「アタックする力は残っていなかった」と述懐しているとおり、動ける体力は残っていなかった。

しかし、アスグリーンは最後まで諦めることはなかった。「何度もマチューのアタックについていけたことで、かえって自信は深まった」と自身の調子の良さを認識していたがゆえに、ギャンブルアタックを一切打たず、必要最小限の動きでマチューとのスプリントに挑む構えを見せていた。アスグリーンにでき得る最善の準備であった。

アスグリーンの意気を感じたマチューも真っ向からの挑戦を受けて立った。マチュー先行のまま、2人はゆっくりと勝負のタイミングを見計らっていた。

残り200m。マチューは自分のタイミングでスプリントを開始。一気に最大1470Wのパワーで、アスグリーンを突き放すかと思いきや、高出力は5秒程度しか持たず。1470Wを記録して7秒後には30%減の1000W程度まで出力が低下してしまった。パワーが持続できなかったマチューの左サイドからアスグリーンが伸びていく。


参考
マチューのパワーデータStrava – Ronde Van Vlaanderen

敗北を悟ったマチューがペダルを踏むことを止めた瞬間、1997年のロルフ・ソーレンセン以来24年ぶり2度目のデンマーク人による優勝と、チームにとって3年ぶりの覇権奪回が現実のものとなり、新たなダニッシュ・ダイナマイトの誕生となった。

底知れぬ体力を持っていると思われていたマチューも、実は中身はほとんど空っぽだった。1470Wというピュアスプリンター顔負けのパワーでスプリントを開始して、5秒間はフルでペダルを回せたが、そこで燃料が切れてしまったのだろう。ここまで誰よりも力を使ってレースを動かし続けてきたのは他ならぬマチューである。もし、マチューにあと2秒分の燃料が残っていたら、結果は変わったかもしれない。

落車による足止めから自力で集団復帰した上で、猛獣マチューのマークに消耗したアスグリーンも、無事であるはずがなかった。事実、残り45km付近の激坂コッペンベルグに苦しみ、マチューらの動きについていけず、第2集団に留まっていたくらいだ。それでも、最後まで勝利を諦めることなく、最善を尽くし続けた結果、マチューよりほんのわずかだけ長くスプリントができたのだろう。

この日、クイックステップは決してエレガントではなかったかもしれないが、勝ったのはクイックステップだった。この日、最も強かったのはマチューだったかもしれないが、勝ったのはアスグリーンだった。だから、サイクルロードレースは面白い。

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