パリ〜トゥールで集団はなぜトレンティンに追いつけなかったのか?

落ち葉のクラシックこと「イル・ロンバルディア」と共に、100年以上の歴史を誇るワンデークラシックレース「パリ〜トゥール」。

コースのほとんどが平坦路で、終盤にわずかな上りがある程度のスプリンター向きのコースではあるが、披露の蓄積したシーズン最終盤だからこそ意表を突いた逃げ切りが決まりやすいレースだ。

2017年大会も、逃げ切りによって決着がついた。

残り10km地点に設定されたコート・デ・ボー・ソレイユの上りで2015年大会の覇者であるマッテオ・トレンティンがアタックを仕掛けた。
ここでピュアスプリンターであるアンドレ・グライペルや、厄介なパンチャーであるオリバー・ナーゼンら有力選手を置き去りにすることに成功。

続く、残り7km地点に設定されたコート・デ・レパンで、再びトレンティンが仕掛ける。
セーレンクラフ・アナスンと2人で逃げに持ち込んだところに、チームメイトのニキ・テルプストラが絶妙なタイミングでブリッジをかけて合流してきた。
テルプストラという強力な機関車を得たトレンティンとアナスンは、後続集団とのリードを守り抜き逃げ切りを確定させ、最後はアナスンとのマッチスプリントを制したトレンティンが勝利を飾ったのだ。

昨年大会の勝者であるフェルナンド・ガヴィリアが落車の影響で勝負どころを前に遅れてしまうアクシデントがあったにもかかわらず、咄嗟の作戦変更にも対応するクイックステップの選手たちの状況判断能力の高さに改めて感嘆させられた。

テルプストラという選手は、レース中の判断力が抜群に良い選手だ。
今シーズンは未勝利ながらも、数々のチームの勝利を演出してきた。
まさに職人芸だといえよう。

参考:“職人”ニキ・テルプストラ。ヘント〜ウェヴェルヘムでサガンにキレられた動きの真意とは?

だが、今回スポットを当てたい選手は、トレンティンでもなく、テルプストラでもなく、マクシミリアーノ・リケーゼである。

パリ〜トゥールでのリケーゼの動きが、逃げ切りが決まる最大の要因になったといっても過言ではないからだ。

終盤のリケーゼの動きを振り返る

・残り10km地点

コート・デ・ボー・ソレイユでトレンティンがアタックを仕掛けた時、サンウェブのアナスン、FDJのロレンゾ・マンザン、BMCのジャン=ピエール・ドラッカー、ロットNL・ユンボのアムンドグロンダール・ヤンセン、そしてリケーゼを含む6人の小集団が先行する展開となった。

グライペルやナーゼンは後続の追走集団内にいた。
リケーゼは、トレンティンと共にローテーションしながら後続との差を開こうとしていた。

・残り7.4km地点

コート・デ・レパンの上りに差し掛かるとすぐに、トレンティンが再び加速。
このペースアップについてきたのはアナスンだけで、ドラッカーやマンザンは遅れたため、ドラッカーの背後でマークしていた。

一方、後続の追走集団からナーゼンがブリッジをかけてきて、そのナーゼンをチェックする形で、テルプストラも上がってきた。

先行するトレンティンとアナスンから6秒ほど遅れて、リケーゼ、テルプストラ、ナーゼン、ドラッカー、マンザン、という構図になった。

・残り7.4〜7.0km地点

ナーゼン自ら牽いて、先行するトレンティンたちを追いかけると、リケーゼとテルプストラがすかさずチェック。
そこへ、グライペルも自力でブリッジをかけてきた。

・残り7.0km地点

ナーゼンが先頭で、牽きをやめた瞬間に、テルプストラがアタックを仕掛けた。
テルプストラの背後を走っていたリケーゼが、マンザンとグライペルの追撃をブロックしていたことで、テルプストラは単独でブリッジをかけることができた。

ここは非常に重要なポイントで、このレースのターニングポイントとなった瞬間である。
テルプストラのブリッジに、グライペルがついていってしまったら、トレンティンではスプリント勝負で歯が立たなかっただろう。
ナーゼンを連れていっても非常に厄介だし、マンザンのスプリント力もトレンティンに匹敵するものがある。

テルプストラの単独ブリッジを成功させるために、後続をしっかりブロックしたリケーゼの功績は非常に大きい。

・残り7.0〜5.0km地点

是が非でも前を追いたい、ナーゼン、グライペル、マンザンは協調する理由が十分にあった。
ところが、リケーゼが必ず間に入ってスムーズなローテーションを妨害していたのだ。

そのため、追撃のスピードは上がらず、先行するトレンティンとの差は開くばかりだった。

テルプストラ、グライペル、ナーゼン、マンザンはStravaで走行データを公開しているので、この区間のデータを分析してみた。

テルプストラの走行データ
グライペルの走行データ
ナーゼンの走行データ
マンザンの走行データ

残り7.0〜5.0kmの区間は、平均速度とタイムを調べると、

テルプストラ:平均時速52.1km(2分18秒)
グライペル:平均時速48.1km(2分30秒)
ナーゼン:平均時速48.7km(2分27秒)
マンザン:平均時速47.3km(2分32秒)

となっているため、この残り7.0〜5.0kmの区間でだいたい12秒ほど、テルプストラはグライペルたちに差をつけていたことになる。

そして、残り5.0km地点付近で、テルプストラはトレンティンとアナスンに合流している。
残り7.0km地点付近では、トレンティンとグライペルたちとのタイム差は6秒程度だったので、この残り7.0〜5.0km区間は6秒ほどトレンティンが速かったことになる。

つまり、リケーゼがグライペルたちのローテーションを妨害したことで、トレンティンに6秒プレゼントすることができたのだ。
結果として非常に大きな6秒となった。

・残り5.0〜2.5km地点

トレンティングループと、グライペルグループとのタイム差は12秒まで広がっていた。

ようやく、グライペルのアシストであるジャスパー・デビュイスト、マンザンのアシストであるオリビエ・ルガク、そしてBMCのドラッカーと共にそのアシストであるシルヴァン・ディリエとダニエル・オスが追いついてきた。
デビュイスト、ルガク、ディリエ、オスの4人の機関車を得て、先行するトレンティンを追撃しようとしたのだが、やはりリケーゼが常に3番手付近を位置取り、スムーズなローテーションを阻んでいた。

この区間は、ほとんどルガクの単独牽き、もしくはデビュイストの単独牽きのような状態になっており、十分なスピードが出ていなかった。

ルガクとデビュイストもStravaで走行データを公開している。

ルガクの走行データ
デビュイストの走行データ

残り5.0〜2.5km区間の、テルプストラ、ルガク、デビュイストの走行データを比べると、

テルプストラ:平均時速53.6km(2分48秒)
ルガク:平均時速53.9km(2分47秒)
デビュイスト:平均時速54.0km(2分47秒)

となっており、わずかにルガク、デビュイストの方がわずかに速かったことがわかった。
タイム差にして1秒。
つまり、ほとんどタイムを縮められていなかったということだ。

中継の画面表示では、残り2.5km地点でタイム差は12秒となっていたので、Stravaのデータとそれほど乖離していなさそうだ。

・残り2.5km〜フィニッシュ地点

残り2.5kmで12秒差だったが、フィニッシュ地点では7秒差まで縮められていた。

Stravaの走行データを見ると、ラスト2.5km区間は

テルプストラ:平均時速50.2km(2分59秒)
ナーゼン:平均時速52.3km(2分52秒)
グライペル:平均時速52.7km(2分51秒)
マンザン:平均時速51.6km(2分54秒)

となっており、画面表示やリザルトとだいたい一致することがわかる。

リケーゼが生み出した数秒が勝負を分けた

リケーゼは、残り7〜5kmの区間で、グライペルやナーゼンのローテーションを妨害し、トレンティンに6秒生み出した。
リケーゼの妨害がなければ、6秒はないどころか、トレンティンはここで追いつかれていた可能性も十分にある。

さらに残り5〜2.5kmの区間では、デビュイストやルガクらのローテーションを妨害し、1秒だけ縮められるに留めた。
リケーゼの妨害がなければ、1秒よりも大きくタイムを縮められていただろう。

結果として、7秒差でトレンティンは逃げ切り勝利を決めた。

ということは、もしリケーゼのアシストがなかったら、グライペルたちはトレンティンを捉えていた可能性が高かったのではないだろうか。

もちろん、トレンティン、テルプストラ、アナスンの走りは素晴らしかった。
だが、リケーゼの妨害の動きがなければ、いくトレンティンたちの独走力が高いといえども、数で勝る追走集団を振り切ることは難しかったかもしれない。

追走集団の抑え役という、地味でわかりづらい仕事ではあるが、Stravaの公開データのおかげである程度可視化することができたと思う。
今回のパリ〜トゥールの関していえば、リケーゼの抑え役としての効果は絶大であったことが伝われば幸いである。

Rendez-Vous sur le vélo…

5 COMMENTS

いちごう

素晴らしい考察記事、ありがとうございます。
先頭集団ばかりフォーカスされてしまう事が多く、自分も先頭集団ばかり見てしまう中、後ろのアシストを見るという視点、恐れ入りました。

フォーカスされたのがリケーゼというのがまた嬉しいです。

かつてNIPPO・DEROSAに所属し、日本人と共に日本のUCIレースを走ったこともあるマキシミリアーノ・リケーゼ。3兄弟ともにロード選手であり兄弟で同一チームに所属してたこともあったと記憶しています。

そのNIPPO時代は自らがエースで走る時以外はなかなかモチベーションが上がらないタイプだったようなエピソードが当時のチームメイトのブログ等で書かれており、クイックステップ加入以来の見事なリードアウトや今回の素晴らしい仕事ぶりには、どうしても同一人物だと思えないのです(笑)

それでも世界最強クラスのチームにおいて、信頼できるアシストとしての地位を確立したようで、今後も応援していきたい選手の一人です。

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アバター画像 サイバナ管理人

いちごうさん

「リケーゼが抑え役として機能しています」という実況を聞いて、具体的にどれくらい効果あるんだろう?と疑問に思ったので、検証してみようと思いました。
たまたま、勝負に絡んでた選手たちがStravaでデータを公開していて助かりました笑

リケーゼは、ツール・ド・北海道で総合優勝したことあるんですね!
やんちゃボーイも、名門チームで薫陶を受けた結果、一流選手へと成長を遂げたんですかね。

2019年まで契約延長しているとおり、もはやチームに欠かせない選手です。
来年はガヴィリアのリードアウトが主な任務になるでしょう。

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いちごう

ツールド北海道優勝は、確か2012年ですね。当時マウロ・リケーゼと兄弟でNIPPOに居たと記憶しています。

脚質は完全にスプリンターですが、勾配がさほど急じゃなく一定斜度で直登する北海道の登りは、彼らにとってさほど難しいものではなかったのかも知れません。
今回のパリ〜トゥールでも勝負どころの登りでちゃんと動けていますし、集団にも残ってますからイメージよりも遥かに登れる選手なのかも。

NIPPOではマウロの方が強かった印象で、「リケーゼ兄弟の弟が強い方」という覚え方をしてたため、マキシミリアーノの方が弟だと思ってましたが、どこかで記憶違いをしてたようで、調べてみたら兄貴でした(笑)
自分の記憶違いじゃなければ、確か彼ら二人の上に長男が居たはずですが、名前が思い出せません。。。

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アバター画像 サイバナ管理人

いちごうさん

ちょっと調べてみたら、
マクシミリアーノが34歳
マルロが31歳で、いまはアルゼンチンのコンチネンタルチームに所属
なんですが、

29歳のエイドリアン・リケーゼという選手が、2017年はマウロと同じチームに所属しています。
ただ、ロベルトアントニオ・リケーゼという35歳の選手もいて、上の3人と同じチーム(コンチネンタル以上)に所属したことはないようなのですが、Wikipediaとか見ても兄弟かどうかよくわかりません。

恐らくは、マクシミリアーノ、マウロ、エイドリアンの3兄弟なのかなと思います。
少なくともマクシミリアーノが今のところ一番出世しているようですね。

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いちごう

調べて頂いてありがとうございます。
エイドリアンという名前も、アントニオという名前も、どちらも聞いたような聞かなかったような(汗)
当時、そんなに意識してなかったので曖昧です。
なんかモヤモヤした感じのままで申し訳ありません。

語学が全然ダメな自分ですが、こういう時は外国語できたらリケーゼのツイッターとか探していけるのでしょう。。。

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